新聞の博物館に行きました

聞の博物館に行きました。

膨大な報道写真というものをみるうちにジャーナリズムって何かな?と考えました。そしてジャーナリストとは我々の様な仕事をしている人と良くも悪くも似ているなと思ったのです。そういう話を書きます。

新聞記者は事実を取材して記事にするし、会計人は事実を掴んで決算書を作ります。
また、世間から酷い扱い方をされていることも似ています。

例えば、大本営発表では戦果を何倍(場合によっては10倍以上)にも盛って発表されていたことは知られた事実です。そういう嘘は結局ばれることとなり下記の様な言われ方をされてきました。

・すべての新聞記者は悪魔に貢物を貢いでいる。
・まず事実をつかめ、それから思うままに曲解せよ。
・雑誌は嘘の巣窟だ。そして読者の十中八九までが、嘘にまるめこまれる可能性がある。
・新聞ですって?それは下卑な、放縦な、憎むべき極悪非道の最たるものです。
・新聞のあらゆる編集者は害毒を流している。
・新聞記者の領分は、たかだか政治についてむなしい臆測を働かせ、人心のおもむくところについて、くだらない当てずっぽをすることにある。

ここで、表現や意見について見てみます。

例えば運動会を壁新聞に書いてみます。

  • 〇月×日 校庭で全校生徒により運動会が開催されました。
  • 徒競走の順位は以下の通りです
    一位〇〇〇〇 二位△△△△…

と、ここまでは事実なのですが

全校生徒は晴天の空の下、全力を出し合い…と書いたら記者の表現だし
PTAや生徒会の協力により素晴らしい運営…と書いたら記者の意見です。

決算書作成も同じです。表現や意見が反映されます。
棚卸の評価方法や減価償却方法、売上の収益認識基準の選択、費用の認識基準など数限りなく表現や意見が入ってきます。

「正しいことを書く」としても良いようにも悪いようにもどちらにでも書けると言う事が理解できますか?

何故ならある良策があったとして、確実に1年後のためには良くても、5年後50年後500年後まで考えるとずっと正しいのかはわかりません。何処の時代に焦点を充てるかで、悪意を持って書こうとすれば悪く書く事は可能です。わからなければ「今は良いけれど将来まで考えると不明」とずるい書き方もできます。

また、どんなに正しい良策でも、老若男女、また全ての職業の人まで全てに恩恵がある事など殆ど無く、誰に焦点を充てるかでも良くも悪くも書けます。

これが表現を使った意見です。

会計にもルールがありますが、どこに焦点を充てるかで表現は変わります。
まして、表現の仕方で税額まで変わるため難しいのです。万が一、大本営発表みたいになっては会社を潰してしまいます。

戦果があろうが、総崩れであろうが戦況報告をし、正しく発表する事。

信頼性のある決算書には資金調達能力があるし、利益のサイズを正しく補足することにより節税効果もあります。

全てキャッシュフロー改善に役立ちます。

アメリカ独立宣言の起草者で第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは新聞無しの政府はダメだと言っています。会計のない会社を想像してみてください。会社と会計が良好な関係でいられる様に働くのが我々の仕事です。

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